創業者 久保田 豊
誠意をもってことにあたれば必ず途(みち)は拓(ひら)ける。
日本工営の創業者、久保田豊は、偉大な土木技術者として日本および世界で高い評価を受けています。久保田豊のスケールの大きさと社会への影響力は、技術者としての域を超え、それまで日本では重要視されていなかった「コンサルティング・エンジニア」という地位を確立させたことでもわかります。
久保田豊の生涯と功績をご紹介します。
目次
- 1. 水力発電を夢見た少年は、世界が認めるコンサルティング・エンジニアになった
- 2. 戦前から数多くの海外プロジェクトに参画
- 3. 終戦。3,000人の職を確保すべく56歳で会社設立へ
- 4. 国際人として90歳まで世界で活躍。滞空5,000時間は地球100周分に相当
- 5. 日本における「コンサルティング・エンジニア(建設コンサルタント)」の地位を確立
- 6. 公益信託久保田豊基金を設立、開発途上国の若手人財を育成
- 7. 1985年 勲一等旭日大綬章を受章、海外の顕彰を授与
- 8. 2013年 国際コンサルティング・エンジニア連盟(FIDIC)100周年記念大会で大賞を受賞
- 9. 誠意をもってことにあたれば必ず途(みち)は拓(ひら)ける
1. 水力発電を夢見た少年は、世界が認めるコンサルティング・エンジニアになった
1890年、久保田豊は熊本県の阿蘇山の麓で生まれました。やがて、少年は生まれて初めて電気燈にふれ、水の力で起こる電気の不思議さに惹かれ、滝を眺めては水力発電を夢見るようになります。
久保田豊はのちに語っています。
「明治中期の私の少年時代は文化に遠かった。それらが子供心にいつの間にかよりよい環境をつくらねばならぬという心がまえを植え付けたかも知れない」
水力発電の夢は、終生変わることはなく、彼の人生のエポックにおいて常に呼び覚まされるものでした。そしてその夢の先には、常に何十万、何百万人といる国民が生き生き暮らせる社会がありました。久保田豊はその実現のために、1986年96歳で閉じるまでの人生をささげるのです。
2. 戦前から数多くの海外プロジェクトに参画
1930~1945年、久保田豊は鴨緑江流域開発(赴戦江ダム、長津江ダム、水豊ダム)に携わります。このプロジェクトは、当時世界最大(70万kW)のダム発電であり、ダム発電以外の肥料・アルミ・化学繊維の事業化の推進や、鉄道など公共インフラ整備にも尽力しました。鉄道事業は現在でも運転が続けられ、朝鮮人民共和国の基幹インフラとされており、水豊ダムは同国の国章のシンボルとして描かれています。さらに仕事の地域は、海南島、インドシナにおよび、マレーシア、スマトラ、ジャワなど広がっていきました。鴨緑江開発以降、資金作りにも携わった久保田豊は、「現在のコンサルタント業はあの時の体験を土台としている」と述べています。
3. 終戦。3,000人の職を確保すべく56歳で会社設立へ
1945年、終戦。久保田豊は、その仲間、部下、技術者たちとともに着の身着のまま日本の本土に引き上げてきました。
「引揚者援護会の気持ちと、せっかくでき上がっているチームワークを捨ててはいけない」と考えた久保田豊は、焦土と化した日本の再建を決意します。そして56歳で、3,000人の職探しのために社団法人と、株式会社(現在の日本工営株式会社)を設立。大陸からの引揚者の働き口を提供しました。
4. 国際人として90歳まで世界で活躍。滞空5,000時間は地球100周分に相当
久保田豊は、生涯にわたり海外を中心に水力発電を主とした開発事業を指揮・監督しました。同時に、コンサルタントとして途上国の開発事業の指揮をとり、その国と地域の現在にも続く発展に貢献します。
久保田豊は単なる「電源を作る技術者」にとどまらない、その国の経済発展も見据えた事業を計画する「開発者・事業家」でもあったのです。
久保田豊が携わったプロジェクトは、現在の円借款による事業スキームや、日本のODAによる援助事業のスキームの先駆けとなる画期的なものでした。
5. 日本における「コンサルティング・エンジニア(建設コンサルタント)」の地位を確立
日本のコンサルタント業界の発展は、久保田豊抜きには語れません。
久保田豊は、生涯にわたって社会の発展には産業の育成が不可欠であり、そのためには安定的で安価な水力発電が効果的であると考えていました。それを核として洪水を防御し、農業開発を進め、国土の基盤を確立するのです。
ここで不可欠なのが、事前の調査、評価、提案ができるコンサルタントの存在です。
そこで久保田豊は、日本国内でのコンサルタント企業の地位の確立を、日本工営、諸団体を通じて世に訴えました。やがて、久保田豊が関わった事業の成功に影響を受け、日本のコンサルタント企業が海外に積極的に進出するようになります。
1964年には、コンサルタントの海外活動の振興のための海外コンサルティング企業協会が発足しました。初代会長はもちろん、時代と業界の先駆者、久保田豊でした。
「コンサルタントこそはやりがいのある仕事である。いわば人間のみが持っている創造する力、それを体現するのがコンサルタントなのである。コンサルタントの道は厳しく、険しい」
6. 公益信託久保田豊基金を設立、開発途上国の若手人財を育成
1984年、久保田豊は自らの私財を投じて「公益信託久保田豊基金」を設立します。かねてより、途上国の持続的な発展のためには若い世代の教育が欠かせないと考えた結果の設立でした。
「夢のない事業は魅力がなく、sustainableな事業とはならない。特に、次世代を担う若者や子供たちに夢や希望を与えなければならない。夢を与える立場の支援者が、夢を持てなかったらどうなるのか。共通の夢を持って挑戦しなければならない。」
現在まで30カ国以上、延べ約300人の志ある技術者に助成金を給付しています。毎年、同基金のセレモニーでは受給者から、日本での研究および勉強を継続できるとして感謝の言葉や、帰国後は国の発展のために尽くすと誓いの言葉が述べられ、久保田豊の遺志が受け継がれています。
7 .1985年 勲一等旭日大綬章を受章、海外の顕彰を授与
1985年、久保田豊はこれまでのさまざまな功績を認められ、勲一等旭日大綬章を受章します。
また、日本国内だけではなく、久保田豊が手掛けた海外開発事業は、現在その国の発展に貢献し重要なインフラ基盤となり、伝えた技術は人々の生活を支えています。その功績により、感謝とともに海外から多くの顕彰を授与しています。
主な顕彰
1958年 | カンボジア王国功労勲章 |
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1962年 | ビルマ共和国鉱工業労働大臣賞 |
1964年 | ベトナム共和国金馨勲章 |
1965年 | ラオス王国勲二等百万象勲章 |
1971年 | ラオス王国統治徽章銀賞 |
1973年 | ベトナム共和国勲一等公共事業運輸通信勲章 |
8. 2013年 国際コンサルティング・エンジニア連盟(FIDIC)100周年記念大会で大賞を受賞
2013年、国際コンサルティング・エンジニア連盟(FIDIC)の設立100周年を記念した大会で、この100年間に世界で建設されたインフラ施設や活躍した技術者として、久保田豊に「FIDIC Centenary Awards FIDIC100周年記念賞」が授与されました。
国際コンサルティング・エンジニア連盟(FIDIC)は1913年に設立された、世界94カ国のコンサルティング・エンジニア協会が加盟する団体です。個人での大賞受賞は英国ARUP社創業者の故アラップ氏と久保田豊だけでした。
生涯を通じて日本国内のみならず、海外でも電源開発・農業水利のコンサルタントとして活躍し、日本の技術輸出の新しい分野を開拓したことが評価され受賞となりました。
9. 誠意をもってことにあたれば必ず途(みち)は拓(ひら)ける
久保田豊が残した精神、それは「日本という一つの国にとらわれることなく、広く国際社会のために技術をもって貢献する」という情熱でした。その計画を成就させる目的のために全身全霊を集中させること、それが久保田豊の「誠意」でした。久保田豊はこんな言葉を残しています。
「誠意は売りものではないが、必ずにじみ出るものである。誠意をもってことにあたれば必ず途(みち)は拓(ひら)ける。」