ダムESCOプロジェクト

栃木県寺山ダム

2015年9月11日、寺山ダム発電所・発電開始式が開催。
栃木県知事をはじめ多数の来賓が列席し、総勢約100名が、日本におけるダムESCO事業の幕開けに立ち会った。

栃木県北部にある矢板市。那珂川水系宮川が流れる地に寺山ダムはある。
洪水調整、不特定利水、上水道供給、灌漑を目的とした多目的ダムとして1984年に完成した。
この寺山ダムの管理用発電を活用したダムESCO事業は、栃木県が考案した前例のないスキームである。
東日本大震災後、大きな注目を集める水力発電の全く新しいビジネスモデルを、
プロジェクトマネジャーとしてリードしたのが、この稿の主人公である鷹尾伏だ。

  • PROFILE

    鷹尾伏 亮

    電力事業本部 エネルギーマネジメント事業部
    部長代理
    1993年入社

    入社後は、公共施設の電気設備設計に従事。その後、新設のエネルギーソリューション部(現エネルギーマネジメント事業部:以下ES部)の立ち上げメンバーに。着任以来約10年、省エネルギー、新エネルギー分野では社内随一の知識・経験を有し、部下の信頼も厚い。ES部の技術者は「図面も描くが、論文も書く」と、近年では、さまざまなメディアでの執筆経験、さらには講演経験も豊富。

  • 鷹尾伏 亮
  • 01ダムESCO事業との邂逅

    ESCO事業とは、"Energy Service Company"の略称で、もともとは1970年代のアメリカに端を発する。日本においては1990年代後半より省エネルギー対策の切り札として導入が進んできた。鷹尾伏が属するES部は、日本におけるESCO事業を推進するべく、省エネルギー、水力・太陽光を軸とした新エネルギーのコンサルティング業務に特化した部隊だ。あわただしく日常を過ごしていた鷹尾伏は、ある日、上司から呼び止められた。「栃木県が、新しいダムESCOという仕組みで、民間事業者を公募している。やってもらえないか」。公募までの期間は数ヶ月しかない。当時、複数の案件を抱えていた鷹尾伏にとって、必ずしも「ありがたい話」ではなかったが、全国初の試みという点には、心を動かされていた。

  • ダムESCO事業との邂逅
  • 02本邦初の「ダムESCO事業」

    栃木県(以下、県)が提示した「ダムESCO事業」とは、ダム管理者である県が、民間の資金、経営能力、技術力を活用し、既存ダムを有効利用するという全国初の試みだ。県は財政健全化の一環として、発電設備を有していないダムの、ダム管理にかかる電気料金の支出削減を検討していた。支出がかさむ施設から、健全な利益を生み出す施設への転換。これが県がイメージした「ダムESCO事業」の原点だ。賦存水力エネルギーの有効活用、ダム管理における環境負荷・管理費削減というメリットをも生み出すことができる。しかも県は、民間活力を利用することでゼロ予算事業にすることができる。案件を渡された鷹尾伏は、当初「何かの間違いではないのか?」とすら感じたという。

  • 本邦初の「ダムESCO事業」
  • 03湧いた社内。期待は一身に

    一方、事業者である民間にとっては、事業主体は県であるため、水利権取得をはじめ、県の全面的な支援を受けることができる。端的に言えば、事業者は事業化にあたり、技術支援に特化することができるのだ。最初は「あまりにもできすぎた話」としてスキーム自体に疑問を感じていた鷹尾伏も、検討を重ねるうち「きわめて考えられたスキーム」であると考えをあらたにしていた。複数の企業が関わるJVではなく、プロポーザルから完成に至るまで一社で完結できる点を強みとする日本工営が、公募を勝ち取ることができた。全国初の試み。社内は湧いた。プロジェクトマネジャーとなった鷹尾伏は、経営会議用の資料づくりに追われた。社内の期待は、鷹尾伏の双肩にかかったのだ。

  • 湧いた社内。期待は一身に
  • 04県から全国、そして世界へ

    社内から土木、電気設備等、各分野から精鋭を招集しプロジェクトチームが結成された。電力事業本部内での横断プロジェクトは、鷹尾伏にとって初の経験だった。彼は「軸合わせ」に奔走したという。鷹尾伏自身の「絶対に成功させる」という思いを理解してもらうとともに、各部門毎に違う考え方やこだわる点を吸い上げていった。県とも協議を重ねた。激しく対立する場面も少なからずあったという。しかし、鷹尾伏をはじめ、多くの人間が思いを重ねていったからこそ、このプロジェクトは成功裡に終わった。想定以上の利益も見込めた。そして第二、第三の「ダムESCO」事業へと発展したとともに、そのノウハウは全国ばかりか、世界各国へも拡がりを見せようとしているのだ。

  • 県から全国、そして世界へ