久保田 豊YUTAKA KUBOTA

略歴

明治23年(1890年)熊本県阿蘇郡に生まれる
大正3年 (1914年)東京帝国大学工学部土木工学科卒業
昭和16年(1941年)日本窒素肥料株式会社取締役
昭和18年(1943年)朝鮮電業株式会社社長
昭和21年(1946年)新興電業株式会社(現 日本工営株式会社)社長
昭和39年(1964年)社団法人海外コンサルティング企業協会会長
昭和48年(1973年)日本工営株式会社取締役会長
昭和61年(1986年)逝去 享年96歳
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創業者久保田豊は、明治23年(1890年)4月27日、熊本県に生まれた。大正3年(1914年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、内務省に奉職した後、独立。同13年(1924年)から昭和20年(1945年)の第二次世界大戦終戦まで、日本窒素肥料会社社長・野口遵のもとで、同社の朝鮮半島における化学プラントへの電力供給事業を指揮した。この間、久保田が完成させた水力発電プロジェクトの総出力は2百万キロワットにも達し、中でも昭和12年(1937年)に鴨緑江で着工した水豊ダムは、世界最大の発電容量を誇る水力発電所として計画され、同19年(1944年)に世界第二の規模を誇る大規模水力発電プロジェクトとして完成に至っている。

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終戦直後の昭和21年(1946年)、久保田は新興電業株式会社(現在の日本工営)を設立。再び国外の開発プロジェクトに着目し、ビルマ(現ミャンマー)、ベトナムをはじめとする東南アジア諸国での水力発電プロジェクトに参画した。久保田の技術力は同地域で水力開発事業に取り組んでいたヨーロッパ諸国を凌ぐものとして国際的に注目されるところとなり、以後数回にわたり国連のメコン河流域開発調査団のメンバーに任命されることになった。メコン河開発調査団においても久保田の活躍ぶりは高く評価され、「メコン将軍」との異名で国連、世界銀行関係者に知れ渡った。

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その後も久保田は、90歳に達するまで世界各地での開発プロジェクトを指揮・統括し、インドネシアのアサハン水力発電計画の実現をはじめとする数多くの実績により開発途上国の開発に貢献した。また、昭和38年(1963年)には社団法人海外コンサルティング企業協会を設立して会長に就任したほか、多くの国際協力関係団体等の公職にも従事した。
昭和59年(1984年)には、日本で研修・研究に従事する発展途上国の技術者を支援するため、2億円の私財を投じて当公益信託久保田豊基金を設立した。

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これらの功績により、昭和60年(1985年)には日本政府から、民間人に贈られる最高の称号である勲一等の旭日大綬賞を授与された。
久保田は昭和61年(1986年)9月9日、享年96歳で逝去。同日付で日本政府より正三位を追贈された。
さらに、平成25年(2013年)には、国際コンサルティング・エンジニア連盟(FIDIC)から、過去100年間に建設されたインフラや構造物および際立った貢献をしたエンジニアに贈られる「FIDIC Centenary Awards」を受賞し、世界的に久保田の功績が認められることになった。

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