日本工営の歩み

大正末期~終戦(創業期以前)朝鮮半島における大規模電源開発事業の実現のために力を尽くす

水豊ダム

戦前から連なる「国づくり」の歴史

日本工営の源流は、大正時代の末期から1945年に至る間、後に当社の創業社長となる久保田豊とその技術陣が、朝鮮半島の電源開発事業に従事した頃に遡ります。
戦前、朝鮮と中国の国境を流れる国際河川「鴨緑江」の水力発電事業に参画。久保田豊は、当時世界最大級のダムだった「水豊発電所」をはじめ、数々の電源開発の指揮・監督にあたりました。さらに、電源開発に付帯する鉄道や舟運事業なども手掛け、長年にわたって、朝鮮の経済、文化の担い手として、国づくりに貢献してきました。

1945年~1949年(創業期)引き揚げ技術者たちの経験と能力を集結し、創業

当時の本社ビル

終戦直後の混乱期に、復興と発展を見据えて創業を果たす

1945年、太平洋戦争の終結とともに、かつて日本人が築きあげた数々の海外資産は没収され、引き揚げ者を迎える日本も焦土と化していました。1946年6月、戦後の混乱期のなか、優れた能力を持つ技術者たちの活路を切り拓き、国土復興という志を実現するために組織されたのが日本工営の前身となる新興産業建設社でした。久保田豊をはじめとする引き揚げ技術者たちの母国再建への情熱が今日の日本工営の礎となりました。

当時の主な出来事

1946年 6月 会社設立(新興電業株式会社 東京都千代田区内幸町)、資本金19万円
1947年 6月 川崎工場開設
9月 仙台出張所開設(1948年11月東北支店に昇格、1984年4月仙台支店に改称)
10月 日本工営株式会社に改称
1949年 10月 建設業登録(1974年6月建設業法の改正により特定建設業許可を受ける)

1950年~1959年国際貢献を視野に事業を展開

ビルマ(現ミャンマー) バル―チャン発電所

現在のODAの礎となる海外進出第1号を受注

久保田豊は、国内の荒廃した国土基盤や電力事業の復興に尽力しつつも海外の戦時被災国の復興をも視野に事業展開する構想を抱いていました。 当初、生計のために集まった技術者たちも久保田のこうした姿に次第に感化されていきます。計画を成就するために全身全霊を集中させること、 それが「誠意」であり、「誠意をもってことにあたれば必ず途(みち)は拓(ひら)ける」と、久保田は説きました。こうした情熱が実を結び、 1954年、海外進出第1号となるビルマ(現ミャンマー)での発電計画の受注に結びついたのです。

当時の主な出来事

1951年 5月 大阪事務所開設(1978年4月大阪支店に昇格)
1954年 4月 札幌事務所開設(1984年4月札幌支店に昇格)
4月 ビルマでバルーチャン発電計画受注(海外進出第一号となる)
1956年 9月 ベトナムにサイゴン事務所を開設
1958年 4月 株式会社日機製作所を買収(1982年7月株式会社ニッキ・コーポレーションと改称、現・連結子会社)

1960年~1969年高度経済成長とともに発展、海外展開も本格化

ベトナム ダニムダム

今日に至る国内事業の基盤づくりと積極的な海外展開で、日本工営の名を世界に広める

国内では、1961年に技術研究所(中央研究所の前身)を開設。建設・開発に関わる最先端の技術開発を目指しました。続いて、1964年には道路部、1966年には防災部など、コンサルティング業務を推進する体制が拡充されます。 電力部門も1958年の日機製作所の買収から始まり、横浜工場の開設、武山超高圧50万V変電所試験設備の開発など、拡充を図りました。
海外では、ベトナム、インドネシア、韓国にも事務所を開設し、創業当初からの念願だった海外における事業展開もいよいよ本格化していきます。特にベトナムにおけるダニム水力発電計画や中国、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを貫くメコン川の下流域総合開発計画調査への参加は、その後、海外開発計画分野において日本工営が諸外国で積み上げる実績を築くための足がかりとなりました。またこれらのプロジェクトの成功が、日本工営の名を世界に広める最初の契機にもなりました。
さらに、1963年には東証2部上場を果たしました。

当時の主な出来事

1961年 1月 埼玉県鳩ヶ谷に土木試験場を開設(1962年に技術研究所と改称)
4月 インドネシアにジャカルタ事務所開設
5月 一級建築士事務所登録
1962年 9月 測量業登録
1963年 4月 東京証券取引所市場第二部に株式上場
8月 横浜工場開設
1964年 12月 建設コンサルタント登録
1969年 1月 福岡営業所開設(1974年4月福岡支店に昇格)

1970年~1979年事業体質強化をはかり、第二の発展期へ

新本社ビル(東京都千代田区)

オイルショックを乗り越え、国内建設コンサルタントとしての地位を確立

これまで開発ニーズの増大という国内市場の好況を受けて、拡大路線を歩み続けてきたものの1973年、1978年と二度にわたって発生したオイルショックによって事業環境は大きく変化。新たな経営課題への取組みがはじまりました。財務体質の改善、不採算事業の整理・統合を進めた結果、受注高、売上高ともに大幅な伸びを示し、1978年の決算は、税引後利益が前年度比の3倍を記録。同年には新本社ビルの竣工、東証一部への指定替えも実現し、新たな発展期へと移行しました。

当時の主な出来事

1970年 6月 広島出張所開設(1990年4月広島支店に昇格)
1977年 11月 地質調査業登録
1978年 3月 千代田区麹町に本社ビル竣工、本店を移転
4月 事業本部制を採用し本社部門と4事業本部を新設
9月 東京証券取引所市場第一部に指定替え

1980年~1989年事業の裾野を拡大し、好況期へ

久保田豊が勲一等旭日大綬章を受章

国内外における長年の功績が認められ、久保田豊が勲一等旭日大綬章を受章

プラザ合意後の急激な円高によって、1986年までは、海外・国内部門ともに一時苦境に立たされたものの、設備投資の活発化や技術開発の強化、環境対策の充実により事態を打開していきました。拠点網の拡大、グループ機能の強化、道路、橋梁、空港、港湾といった交通・運輸分野の強化に加え、都市開発分野などの民間案件の開拓も進めました。また、電力設備需要の拡大を背景とした大型工事やシステム事業への進出とともに変電所制御装置の開発を進め、事業分野の裾野を積極的に広げていきました。その後、円高抑制策として打ち出された超低金利政策が呼び水となり国内市況も好況へと反転。国内外ともに業容が大きく発展していったのです。
さらに1985年には、当社の創業者である久保田豊が勲一等旭日大綬章を受章。国内外における長年の功績がここに認められました。

当時の主な出来事

1981年 4月 フィリピンにマニラ事務所開設
1982年 4月 新潟出張所開設(2001年7月新潟支店に昇格)
4月 四国出張所開設(2002年4月四国支店に昇格)
1984年 3月 創業者久保田豊を委託者とした基金「公益信託 久保田豊基金」の創設
6月 ケニアに東アフリカ事務所開設(1997年11月ナイロビ事務所に改称)
12月 千代田区麹町に別館開設(1995年7月半蔵門オフィスに改称)
1985年 2月 補償コンサルタント登録
4月 久保田豊会長が勲一等旭日大綬章を受賞
1986年 10月 株式会社コーエイシステム設立(現・連結子会社)
1988年 4月 計量証明事業登録
1989年 2月 みなし通知電気工事業者通知
10月 フィリピンにPHILKOEI INTERNATIONAL,INC,設立(現・連結子会社)

1990年~1999年21世紀を見据えたビジョンを策定

中央研究所(茨城県つくば市)

新たなステージへの飛躍に向けた成長戦略を策定

急速な成長を続けていた1990年、日本工営は創立45年周年を迎えました。この節目の年に「NK21世紀ビジョン」が策定されました。これは来るべき21世紀に向け、"魅力あふれる企業の創造"を目指し、日本工営の将来像を描くために「事業を通して社会に貢献し、着実な事業の拡大を目指す」ことを社内外に宣言するものでした。その後、具体的にどのような戦略でどれだけの成果を出すかをアクションプランとしてまとめ、達成に向けて全社を挙げて動き出していったのです。また、茨城県つくば市に業界随一の中央研究所を立ち上げて研究開発を強化し、さらに海外の統括事務所の整備と現地法人設立を積極的に展開したのもこの時期でした。

当時の主な出来事

1990年 5月 NK21世紀ビジョン策定
1991年 5月 NK21世紀ビジョン・アクションプラン策定
7月 愛知県名古屋市に中部事務所開設(1992年7月名古屋支店に昇格)
10月 ベトナムにハノイ事務所開設
1992年 8月 インドネシアにPT.INDOKOEI INTERNATIONAL 設立(現・連結子会社)
10月 茨城県茎崎町(現つくば市)に中央研究所開設
10月 株式会社エル・コーエイ設立(現・連結子会社)
1993年 10月 スリランカにコロンボ事務所開設
1995年 7月 株式会社コーエイ総合研究所設立(現・連結子会社)
1996年 4月 NK21世紀ビジョン・新アクションプラン策定

2000年~2009年事業環境の悪化から再生に向けた地道な努力

構造改革を行い、再成長への基盤づくり

2001年前後の国内経済全体は、バブル崩壊の痛手から開放される兆しが見えはじめていたものの、当社の事業量は1995年をピークに減少し、2002年および2003年には当期利益がマイナスとなる厳しい状況に見舞われていました。 こうした中、2003年にはトンネル分野に強みを持つ日本シビックコンサルタント株式会社を、2005年には都市開発分野に強みを持つ玉野総合コンサルタント株式会社を子会社化しました。
2005年には再生3ヵ年計画を策定し、事業環境の分析や戦略を実現する体制づくりを行いました。さらに2008年には、2010年までを対象とした中期経営計画を発表。前中期経営計画では、コスト削減などが主要テーマでしたが、新中期経営計画では「社員が誇りを持ち、社会・顧客から高い評価を受ける会社」を目指して「成長に向けた変革」を図り「クオリティ」および「生産性」の向上に努めることを内外に表明しました。

当時の主な出来事

2000年 8月 英国工営株式会社設立(現・連結子会社)
10月 東京証券取引所における所属業種の変更(建設からサービスへ)
10月 インドにニューデリー事務所開設
2001年 10月 千代田区麹町に新麹町オフィス開設
12月 福島県須賀川市に福島事業所(新工場)開設
2003年 2月 土壌汚染対策法に基づく指定調査機関に指定
7月 中南米工営株式会社設立(現・連結子会社)
10月 日本シビックコンサルタント株式会社を子会社化(現・連結子会社)
2005年 3月 玉野総合コンサルタント株式会社を子会社化(現・連結子会社)
3月 特定労働者派遣事業届出
2007年 3月 ヨルダンに中東事務所開設
6月 ブラジルにNIPPON KOEI LAC DO BRASIL LTDA.設立(現・連結子会社)
7月 東京支店を開設
2008年 6月 インドにNIPPON KOEI INDIA PVT.LTD.設立(現・連結子会社)

2010年~現在建設コンサルタントの枠を超え、新たなステージへ

東日本大震災

見つめ直される安全・安心、そして複合化・多様化するニーズに応える

2011年に突然日本を襲った東日本大震災。それまでの技術立国や安全神話への自信を揺るがすことになりました。一方で、インフラの重要性に改めて気付かされ、国土強靭化が国の施策として推し進められているところです。
当社の現地支店・事務所も被害を受けましたが、全国の事業所からの支援を受け比較的早い段階で復旧を果たし、本業を通じた復旧・復興事業への貢献に向けた体制を整えました。こうしたなか、2012年3月、2012 年度を初年度とする中期経営計画を策定し、「グローバル展開の強化」と「新たな事業領域の開拓と形成」を基本方針に掲げて公表しました。この基本方針をベースに、2015年2月に、2021年までの長期経営戦略を、2015年7月には中期経営計画(NK-AIM)を掲げ、国内・海外それぞれで、複合化・多様化するニーズに応えるグローバルなコンサルティング&エンジニアリングファームを目指し、さまざまな施策を果断に実行しているところです。

BDP社オフィス

2016年4月には、英国建築事務所BDP Holdings Limitedを子会社化し、都市空間事業を積極展開することを発表。建設コンサルタントという枠を超え、「安全・安心な社会基盤と豊かな生活空間づくりに価値あるサービスを提供し未来を拓く」というグループビジョンを実現するべく、日本工営はさらなるシンカ(進化・深化・真価)を続けます。

主な出来事

2010年 9月 パナマにNKLAC, INC.設立(2011年9月NIPPON KOEI LAC, Inc.商号変更、現・連結子会社)
2011年 4月 タイにバンコク事務所開設(再設)
2012年 1月 ベトナムにNIPPON KOEI VIETNAM INTERNATIONAL.CO., LTD.設立
3月 ミャンマーにヤンゴン事務所開設(再設)
4月 ぺルーにリマ事務所開設(再設)
2015年 2月 グループビジョンおよび長期経営戦略を発表
7月 中期経営計画(NK-AIM)を発表
10月 バングラデシュにダッカ事務所開設
2016年 4月 BDP Holdings Limitedを子会社化
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