日本工営株式会社 | NIPPON KOEI Challenging mind, Changing dynamics

誠意をもってことにあたり、技術を軸に社会に貢献する。
1890(明治23)年熊本に生まれる。東京帝国大学(工学部土木工学科)を卒業後、日本窒素肥料株式会社の取締役を経て、朝鮮電業株式会社社長に就任。朝鮮半島での電力開発や、大規模水力発電施設の建設に携わる。終戦後は、朝鮮電業での経験を活かし、日本工営を設立。東南アジアでの水力発電所建設や、国連のメコン川流域開発調査団のメンバーとして、世界を舞台にさまざまなプロジェクトの実現に尽力。90歳まで、世界各地のプロジェクトを指揮し、開発途上国の発展に貢献した。1985(昭和60)年勲一等旭日大綬章。1986年、96歳で逝去。
当社の源流は、遠く大正の末期から1945(昭和20)年に至る間、朝鮮の電力開発を推進した久保田豊とその技術陣の事業活動にさかのぼります。
日本工営の初代社長久保田豊らは戦前、朝鮮と中国との国境を流れる国際河川、鴨緑江の水力発電事業などに従事していました。当時、世界でも最大級のダムとしてその名を知られた水豊発電所をはじめ、数々の電源開発およびそれに付帯する鉄道、舟運事業など、長年にわたって朝鮮の経済、文化の担い手として国づくりに貢献しました。
しかし、1945年に日本は終戦を迎えました。日本人が海外で築きあげたものがことごとく没収される中、海外引き揚げ者を温かく迎えるべき故国日本もまた焦土と化していました。このような戦後の混乱の中、朝鮮からの引き揚げ者たちの技術を活かして日本の復興に役立てたいという思いで、1946年6月、新興産業建設社-日本工営の前身会社が設立されました。
創業者の久保田豊は、国内の大規模電源開発の構想に目を向けるとともに、さらに海外の戦時被災国の復興のための電源開発事業をにらんでいました、はじめは生計のためにこの会社に集まった技術者たちもこのような久保田の姿に次第に感化されていきました。彼らの底に流れる精神は、日本という一つの国にとらわれることなく、広く国際社会のために技術をもって貢献するという情熱でした。その計画を成就させる目的のために全身全霊を集中させること、それが「誠意」であり、「誠意をもってことにあたれば必ず途(みち)は拓(ひら)ける」と、久保田は説きました。
当社は創業以来60年以上が過ぎ、事業の幅も、会社の規模も、大きく成長いたしましたが、その底流には、創業精神でもある当社の経営理念が脈々と流れています。
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