![]() 全長約22kmのハイバン峠。 通過には一時間以上を要した。 《実施地域》ベトナム国ダナン市
《工期》18年(97~05年。赴任期間:97年~99年)
《プロジェクト概要》
ハイバン・パス・トンネル・プロジェクト
ベトナム国土を南北に貫く国道一号線のなかで、ハイバン峠通過区間は急勾配、急カーブが連続するほか、濃霧の発生で視界不良に陥ることも多い事故多発区間。加えて、地滑り、斜面崩壊といった土砂災害も頻発していたため、新たにトンネル建設が計画されることとなった。本プロジェクトはベトナム初の大型トンネル計画であり、かつ総延長6.3kmにもおよぶ東南アジア随一のトンネルとして、2005年に無事開通に漕ぎつけたが、換気方法においては日本方式か欧州方式か、また計画区間を短いトンネルでつなげる案か、長い1本のトンネルで計画を進める案とが拮抗するなど、着工までにいくつもの紆余曲折を経なければならなかった。
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実はこのプロジェクトに関わる直前まで、内戦が終結したばかりの中南米のエルサルバドルで、道路や橋梁の復旧プロジェクトに携わっていました。ちょうど設計が終った段階で、工事業者の入札準備をしていたところでしたが、急遽辞令が下りベトナム入りすることになったんです。97年のことでした。
ちょうどその5年ほど前、別の調査案件でベトナムのハノイに行った経験があったのですが、わずか5年の間に国の経済が大きく発展したのを実感しましたね。
当時はベトナム戦争終結以降、老朽化した大小の橋梁の架け替え工事や、フェリー渡河河川での橋梁建設工事があちらこちらで行われており、交通インフラの整備が本格化し始めたタイミングです。92年のころはまだホテルもなく、雨漏りのする招待所のようなところに滞在したものでしたが、もはやそこまで貧しい印象はなくなり、むしろ国をこれから建設していこうという活気を感じました。
当時、私が関わることになった国道一号線に計画されたハイバン・パス・トンネルも、国の経済を支える重要な幹線道路としてその整備が待ち望まれていたもの。さらにこのプロジェクトには、ベトナム初のトンネル計画として地元の期待を集めるだけでなく、私たちにとっては日本で培ってきたトンネル技術を海外で展開したいという意気込みも込められています。完成の暁には、双方にとって記念碑的なプロジェクトになると確信していました。
ちょうどその5年ほど前、別の調査案件でベトナムのハノイに行った経験があったのですが、わずか5年の間に国の経済が大きく発展したのを実感しましたね。
当時はベトナム戦争終結以降、老朽化した大小の橋梁の架け替え工事や、フェリー渡河河川での橋梁建設工事があちらこちらで行われており、交通インフラの整備が本格化し始めたタイミングです。92年のころはまだホテルもなく、雨漏りのする招待所のようなところに滞在したものでしたが、もはやそこまで貧しい印象はなくなり、むしろ国をこれから建設していこうという活気を感じました。
当時、私が関わることになった国道一号線に計画されたハイバン・パス・トンネルも、国の経済を支える重要な幹線道路としてその整備が待ち望まれていたもの。さらにこのプロジェクトには、ベトナム初のトンネル計画として地元の期待を集めるだけでなく、私たちにとっては日本で培ってきたトンネル技術を海外で展開したいという意気込みも込められています。完成の暁には、双方にとって記念碑的なプロジェクトになると確信していました。

ハイバントンネル開通により、道のりが10分程度に短縮された
東南アジア随一の山岳トンネル計画
3ヵ月にわたり現地調査を実施してみると、当時の国道一号線は事故を誘発しやすい急勾配と急カーブが連続する危険な山道であり、ひとたび大雨が降れば地滑りや斜面崩壊が頻発。さらに季節によっては標高約500mの峠一帯に濃い霧が立ちこめるという気候風土など、交通のボトルネックになっている要因が徐々に明らかになっていきました。
こうした諸条件を加味した上で国道一号線を幹線道路として機能させるには、ハイバン峠の直下を一直線に貫くトンネル計画を立てるのが最善と判断した私たちは、ルートを定め総延長6.3km、トンネル内の換気は日本方式の電気集塵機付き縦流式を採用する東南アジア随一の山岳トンネル計画を立案することにしたのです。
もちろん自ら立てたプランに自信はあったものの、一方で長大なトンネル計画を受け入れてもらえないのではという懸念もありました。
事実、ベトナム側の有力者のなかには、計画区間を1つのトンネルで貫くのではなく、トンネル区間を分割したほうが、初めてのトンネル計画にふさわしいし、予算も抑制できる。また換気方法も日本方式より欧州方式のほうが優れているのではないかという主張もありました。困難が予想されましたが、私たちは信念を固め、反対派の説得にあたることに決めたのです。
こうした諸条件を加味した上で国道一号線を幹線道路として機能させるには、ハイバン峠の直下を一直線に貫くトンネル計画を立てるのが最善と判断した私たちは、ルートを定め総延長6.3km、トンネル内の換気は日本方式の電気集塵機付き縦流式を採用する東南アジア随一の山岳トンネル計画を立案することにしたのです。
もちろん自ら立てたプランに自信はあったものの、一方で長大なトンネル計画を受け入れてもらえないのではという懸念もありました。
事実、ベトナム側の有力者のなかには、計画区間を1つのトンネルで貫くのではなく、トンネル区間を分割したほうが、初めてのトンネル計画にふさわしいし、予算も抑制できる。また換気方法も日本方式より欧州方式のほうが優れているのではないかという主張もありました。困難が予想されましたが、私たちは信念を固め、反対派の説得にあたることに決めたのです。

2005年6月の開通式にて
地道な説得活動と事態を動かした災害
まずは 技術的な優位性を理解して貰うため、日本語の技術基準に関するドキュメントを英訳後、さらにベトナム語へ翻訳することからはじめました。
トンネル区間分割を主張する人々には、幹線道路として機能する道路を建設するには1 本のトンネルにしなければならない理由を地道に説明。そして、トンネル火災が発生した場合、欧州方式の換気方法のほうが安全だと主張する人々には、日本で培ったコントロール技術で解消できることを証明するため、実験ビデオを見せたり、実際に日本のトンネル運用の現場を見学してもらったりすることで、なんとか理解を深めてもらえるよう、あらゆる努力を積み重ねていきました。
合意形成までに時間がかかったものの、99年の11月、事態は急展開します。大雨の影響で現状の国道一号線の各所で傾斜地が崩壊。寸断された一号線は5日にわたって通行不能に陥ってしまったのです。しかしこの不幸な出来事が契機となって「田沼が提案するプランは理にかなっている」という意見が大勢を占めるようになり、私たちが提案した計画が承認される道筋ができました。そして承認から約5年、無事開通の日を迎えられたのです。
私たちにとってこの計画は、日本の技術基準を海外に導入するという意気込みをもって取り組んだプロジェクトでしたが、彼らにとっては今後自国独自の技術基準を定める上で、将来、重要なプロジェクトだったと位置づけられるはずです。そうした記念すべきプロジェクトに関われたことは、私自身にとっても意義深いことだと感じています。
トンネル区間分割を主張する人々には、幹線道路として機能する道路を建設するには1 本のトンネルにしなければならない理由を地道に説明。そして、トンネル火災が発生した場合、欧州方式の換気方法のほうが安全だと主張する人々には、日本で培ったコントロール技術で解消できることを証明するため、実験ビデオを見せたり、実際に日本のトンネル運用の現場を見学してもらったりすることで、なんとか理解を深めてもらえるよう、あらゆる努力を積み重ねていきました。
合意形成までに時間がかかったものの、99年の11月、事態は急展開します。大雨の影響で現状の国道一号線の各所で傾斜地が崩壊。寸断された一号線は5日にわたって通行不能に陥ってしまったのです。しかしこの不幸な出来事が契機となって「田沼が提案するプランは理にかなっている」という意見が大勢を占めるようになり、私たちが提案した計画が承認される道筋ができました。そして承認から約5年、無事開通の日を迎えられたのです。
私たちにとってこの計画は、日本の技術基準を海外に導入するという意気込みをもって取り組んだプロジェクトでしたが、彼らにとっては今後自国独自の技術基準を定める上で、将来、重要なプロジェクトだったと位置づけられるはずです。そうした記念すべきプロジェクトに関われたことは、私自身にとっても意義深いことだと感じています。
2011年7月28日


