Challenging Diary

ホーム > Challenging Diary > 技師長 畑尾 成道

イラン巨大プロジェクトで学んだもの 技師長 畑尾 成道


ロックフィルダム
(岩石を盛土材として利用するダム形式のひとつ)
《実施地域》イラン・イスラム共和国
《工期》10年(赴任期間:1998?2001年)
《プロジェクト概要》
マスジッド・エ・スレイマンダム水力発電計画
1992年~2002年にかけて、イラン南西部のクゼスタン州を流れるカルン川にロックフィルダムと地下発電所を建設するプロジェクト。世界有数の産油国として知られるイランだが、水資源にも恵まれており、水力資源の開発はエネルギー源の多様化や石油資源の保全などの面から重要視されている。本プロジェクトは構造物が大規模であること、また地震地域に位置すること、急峻な地形、寒暖差の大きい気候、アクセス・通信の悪さなど、悪条件かつ過酷な作業環境のもとで工事は大きなチャレンジを伴うものだった。この計画は79年のイラン革命後、同国に対する日本政府の円借款再開の第1号案件でもあった。
日本工営に入社して2年目から、主にインドネシアを中心とした東南アジアの国々でダム・水力開発に携わってきました。中部ジャワのガルン水力計画の設計や工事管理、アチェ州のタンプール水力計画の調査、タイのノンプラライダムの設計など、東南アジアの案件には都合15年間ほど係わってきましたが、20年ほど前のある日、私にとって未知の国での仕事が舞い込んできました。イランにおけるダム水力開発プロジェクト(カルンIIIターンキー案件)への応札です。

しかし世界有数の産油国であるイランと水力開発がどうしても結びつきません。現地情勢に詳しい大使館関係者や商社の方々から、彼の地の政治や経済、社会、文化の話を聞くうちにわかったのは、イランには大きな河川がいくつかあり、大規模な住民移転や森林破壊を伴わずにダムを造れるサイトがあること、そして石油資源は外貨獲得のために輸出、国内需要は水力資源を積極的に利用するという国の方針があることでした。

日本工営とイランとの関わりは1960年代以降途切れていたため、当社としては久しぶりのイランでの案件。国内の建設会社、メーカー、商社と組んで応札を試みましたが、残念ながらその入札は成立しませんでした。

しかしこのとき得た人脈や経験が2年後に活かされます。イランに対する円借款が再開されることになり「マスジッド・エ・スレイマンダム発電計画」の受注につながったからです。この円借款再開第1号案件に91年に私が現地予備調査に赴くことになりました。

イランの過酷な気候風土に圧倒される
イラン南西部のクゼスタン州を流れるカルン川に、上流の既存ダムと連携した新しいダムを造る。この構想を実現させるにはどんな計画を立てるべきか。それを調査することが私たちに託された役割でした。

地質担当技師と一緒にイランの首都であるテヘランに乗り込み、さらに飛行機を乗り換え900km先のアワーズまで1時間。そこから何時間走ってもひたすら土漠地帯が続く陸路を駆け抜け、やっとの思いでダム予定地に到着した頃にはすっかり日も暮れていました。

強烈な日差しと暑さに悩まされ、のどの渇きを癒すのに苦労したものの、それでも日が落ちると昼間の暑さが嘘のように気温が下がりはじめます。

夏場の熱気には圧力さえ感じるほどでしたが、冬の夜ともなればストーブで体を温めなければならないほど気温が下がるというのがイランの気候です。気候変動の激しさや土漠の広がる風景は日本とも東南アジアとも違う異質なものでした。

現地予備調査を終えてからは、案件形成調査で何回もテヘランを訪問しました。また案件を受注してからは、国内で案件の管理・支援業務を担当しました。さらに98年からはテヘランに転勤になり工事監理に携わり、延べ10年以上この案件に係わったことになります。

ダム建設予定地で土砂や岩石を盛り立てる
ダム建設予定地で土砂や岩石を盛り立てる
このプロジェクトを通じて学んだこと
マスジッド・エ・スレイマンダムは、岩石や土砂を積み上げて建設する中央遮水壁ロックフィルダムという形式を採用し、同形式では日本で一番の高さを誇る新高瀬ダムと同程度の177mの高さです。さらに、厳しい気候風土で地震が多い地域であること、また限られた期間で大量の掘削、盛土、コンクリート工事を行わなければならないなど、大規模プロジェクトに起因する多くの課題がありました。

テヘラン転勤中はプロジェクトマネージャーとして、テヘランと工事現場を行き来しながら会議や交渉、もろもろの調整、問題解決に忙殺されることになります。クライアントやコントラクター、また提携したドイツやイランのコンサルタントの人々とは、ときに考え方の違いから激しい議論を戦わせることもありましたが、こうした経験を通じて多くのことを学んだことも事実です。


カルン川を眼下に
カルン川を眼下に
中東という位置もあり、この案件に参加した人々の国籍は15か国に達しています。文化や考え方の壁を越え、設計概念、契約書、仕様書、図面、数量計算書についてクライアントや関係者との認識の差を最小限にするという難しさ。またイラン人の個性や自己主張の強さには定評があり、「契約」に対する厳格な態度や「契約」を目的にそって有利に解釈する交渉術は日本人として考えさせられることが多くありました。さらに様々な制約条件のもとで、期限に追われ、いかに効率的な施工体制を確立するか、このプロジェクトを通じてその鍵を体得したように思います。またプロジェクトマネージャーの責務は重大であることを再認識するとともに、関係者間のコミュニケーションの維持はやはり必須条件であると思いました。

プロジェクトを遂行する途上で様々な問題に遭遇します。しかし問題を解決するために我々が必要とされているともいえます。しかし、いくら正論を振りかざしても結果が伴わなければ意味がありません。技術や理論だけで人は動かないのもまた事実なのです。

クライアントと一緒に問題を解決し、ファイナルゴールに到達し、結果的に「やってよかった」と思えるよう最大限の努力を払うこと。これもイランで私が学んだことのひとつです。


2011年1月20日

サイトマップEnglishRSS配信